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夢を、見た。
内容は良く覚えていない。
でも頬に残る冷たい跡が
忘れてよかったと思える内容だと語っていた。

眠りが浅いのか疲れのせいなのか
僕は良く夢を見る。
そして雀が鳴く頃に、悲しさに胸を砕かれる。
悲しさといっても
何が悲しくて
何が起こって
何に憤慨を感じて泣いたのか
それすら覚えていない。
けれどその、根拠のない悲しみは
僕の胸に色濃く刻まれ
今まで生きてきた人生を、より青に染めて行く。

夢とは恐ろしいものだと思う。
ここに僕がいて、愛する人がいて
大切な一時を過ごし、愛し合った証すら
夢かも知れないのだから。
今いる自分が夢ならば
夢を見ているのは誰なのだろう。
現実の僕なのか
それとも顔すら知らぬ人なのか。
そう考える僕は
酷い自虐癖でも持っているのだろうか。

だが今の「僕」が夢であろうと現実であろうと
生きようとする意志がなくても生かされている現実と
生まれてこようと思わなくても生まれてきた夢とでは
何が違うのだろうか。
消えたくても消えれなくて
胸を圧す悲しみは変わらなくて。
それだけ一致しているなら
もう、同一なのだろう。
そしてそれでいいと思える程に
僕は現実に疲れているのだ。

日が沈み、灯りも消えて行く刻になれば
僕もまたベッドへ向かう。
そして、数時間の記憶の空白の後に
また悲しみに襲われる。
その悲しみはどんな悲しみなのか
それすら気にならない程に
僕は現実に悲しまされているのだ。

そのルーティンワークは崩れる事はないと
そう考えてベッドに向かっている時に
閉め忘れたカーテンの合間から、満月に目を奪われた。
そして唐突に
―本当に唐突に
今までの悲しみを思い出した。
それはアルバムのページをめくる様な優しさはなく
怒涛の様に押し寄せて
その記憶の怒涛は、月明かりの下でまた僕の目を濡らす。

僕が小学生の頃に毎日通った通学路。
その道端に、綺麗な白い花が咲いていた。
朝露に濡れて
茜の光に染まって
それはとても美しく、僕の宝物になっていた。
けれど花は蜻蛉の様な脆さで
花だけではなく、世界が白く染まる前に
その花弁を落とした。

たった、それだけの夢を見て
僕は泣いていたのだ。

僕は、人とは人並みにしか付き合わなかったし
動物も飼わなかったし、植物も育てた事もない。
それはやはり
もう、儚いものは見たくなかったからなのだろう。

僕が夢を見て夢を望まない理由も
満月の月明かりがもたらした激しい波によって
謎が解けたのだった。
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